上島竜兵さん『竜兵会』行きつけの店が明かす「後輩全員奢り」「残された専用グラス」
![]() | 上島竜兵さん『竜兵会』行きつけの店が明かす「後輩全員奢り」「残された専用グラス」 お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さん(61)が亡くなった。上島さんは1961年生まれ、兵庫県出身。もともと俳優を目指して上京したが、テアト… (出典:NEWSポストセブン) |
竜兵会(りゅうへいかい)は、ダチョウ倶楽部の上島竜兵を中心としたリアクション芸人らによる集団のこと。 結成ルーツとして複数の説が語られている。 上島と同じ太田プロダクション所属の土田晃之によれば、竜兵会結成のきっかけはかつて日本テレビ系列で放送されていた番組『THE夜もヒッパレ』にメンバーらが「太 10キロバイト (1,384 語) - 2022年5月11日 (水) 08:14 |
お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さん(61)が亡くなった。上島さんは1961年生まれ、兵庫県出身。もともと俳優を目指して上京したが、テアトルエコー養成所で寺門ジモン(59)と出会い、お笑い路線に転身。1985年に寺門、肥後克広(59)、南部虎弾(70、後に脱退)とダチョウ倶楽部を結成し、熱々おでんや熱湯風呂などのリアクション芸で人気を博した。
上島さんは、自他共に認める飲み好きで、お笑い界の一大グループ“竜兵会”の中心メンバーだった。ブレイク前の有吉弘行(47)や土田晃之(49)を目にかけて、現在の活躍ぶりに上島さん自身も「あいつらがこんなに売れるとは」と驚いていた。どん底時代の有吉を支え、10日連続で飲みに行ったこともあったという。
面倒見は良くとも、上島さんは決して先輩風を吹かせるような人物ではなかった。誰に対しても別け隔てなく接するからこそ、周囲に自然と慕われた。
「大物芸人なのに、後輩にイジられても全く怒ることなくニコニコしている。酔うとノリノリですが、普段はちょっと人見知りな大人しい方でした」(若手芸人)
後輩芸人から気軽にイジられるようになったきっかけも、実に上島さんらしい。
「昔は当然、後輩たちも上島さん相手に緊張して接していました。ですが、あるとき、酔った上島さんが『俺はこれからどうしたらいいんだ』と飲み会中に泣き出したことがありました。先輩芸人にいろいろ相談するつもりが、まさか逆に半泣きで相談されるとは……。その一件で後輩との距離がぐっと縮まったと聞いています」(テレビ局関係者)
竜兵会御用達の店のスタッフが、上島さんの人柄を振り返る。東京都中野区にある韓国料理店『オジャンドン』は、上島さん専用のグラスまで置いていた。上島さんは明け方に来店することが多く、店主夫妻とも親しく交流していた。かつてキープしていたボトルには、ダチョウ倶楽部や出川哲朗らのフィギュアが飾られていた。
「上島さんは、2005年頃からお店にいらっしゃるようになりました。すごく面倒見の良い方で、後輩たちを10人以上も連れてきて、お会計が10万円を超えることもありましたが、全部上島さんが支払っていました。店の人間にも気さくに接してくれて、とても優しい人でした」(「オジャンドン」店員)
メンバーたちが多忙になり、竜兵会で集まる回数も近年はめっきり減ってしまった。しかし、絆は変わらず強い。有吉と土田は、上島の老後のために驚きのプランを練っていたという。
「『上島さんはどうせ奥さんに捨てられる』と冗談めかしながら、『有吉が中野にアパートを建て、土田一家もその近くに引っ越して、みんなで毎晩飲む』というアイデアで盛り上がっていました。有吉さんも土田さんも上島さんを毒舌でイジってはいますが、芸能界の恩人として慕い続けていることに間違いはありません」(前出・テレビ局関係者)
かつて有吉は、上島さんへの想いをこのようにツイートしていた。
〈涙をこぼすのは上島さんの葬式だけ。と決めているのだが、年齢のせいか危うい時がある。。。〉(2013年4月23日のツイート)
上島さんの訃報を受けて、竜兵会のメンバーを思いやる声も少なくない。上島さんのご冥福をお祈りいたします。
上島さんは、自他共に認める飲み好きで、お笑い界の一大グループ“竜兵会”の中心メンバーだった。ブレイク前の有吉弘行(47)や土田晃之(49)を目にかけて、現在の活躍ぶりに上島さん自身も「あいつらがこんなに売れるとは」と驚いていた。どん底時代の有吉を支え、10日連続で飲みに行ったこともあったという。
面倒見は良くとも、上島さんは決して先輩風を吹かせるような人物ではなかった。誰に対しても別け隔てなく接するからこそ、周囲に自然と慕われた。
「大物芸人なのに、後輩にイジられても全く怒ることなくニコニコしている。酔うとノリノリですが、普段はちょっと人見知りな大人しい方でした」(若手芸人)
後輩芸人から気軽にイジられるようになったきっかけも、実に上島さんらしい。
「昔は当然、後輩たちも上島さん相手に緊張して接していました。ですが、あるとき、酔った上島さんが『俺はこれからどうしたらいいんだ』と飲み会中に泣き出したことがありました。先輩芸人にいろいろ相談するつもりが、まさか逆に半泣きで相談されるとは……。その一件で後輩との距離がぐっと縮まったと聞いています」(テレビ局関係者)
竜兵会御用達の店のスタッフが、上島さんの人柄を振り返る。東京都中野区にある韓国料理店『オジャンドン』は、上島さん専用のグラスまで置いていた。上島さんは明け方に来店することが多く、店主夫妻とも親しく交流していた。かつてキープしていたボトルには、ダチョウ倶楽部や出川哲朗らのフィギュアが飾られていた。
「上島さんは、2005年頃からお店にいらっしゃるようになりました。すごく面倒見の良い方で、後輩たちを10人以上も連れてきて、お会計が10万円を超えることもありましたが、全部上島さんが支払っていました。店の人間にも気さくに接してくれて、とても優しい人でした」(「オジャンドン」店員)
メンバーたちが多忙になり、竜兵会で集まる回数も近年はめっきり減ってしまった。しかし、絆は変わらず強い。有吉と土田は、上島の老後のために驚きのプランを練っていたという。
「『上島さんはどうせ奥さんに捨てられる』と冗談めかしながら、『有吉が中野にアパートを建て、土田一家もその近くに引っ越して、みんなで毎晩飲む』というアイデアで盛り上がっていました。有吉さんも土田さんも上島さんを毒舌でイジってはいますが、芸能界の恩人として慕い続けていることに間違いはありません」(前出・テレビ局関係者)
かつて有吉は、上島さんへの想いをこのようにツイートしていた。
〈涙をこぼすのは上島さんの葬式だけ。と決めているのだが、年齢のせいか危うい時がある。。。〉(2013年4月23日のツイート)
上島さんの訃報を受けて、竜兵会のメンバーを思いやる声も少なくない。上島さんのご冥福をお祈りいたします。
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